源氏物語 宇治十帖10,11

(十)ジード『狭き門』

 

フランスの小説にジードの書いた『狭き門』という作品があります。

その中に登場するアリサと大君が驚くほど似ているのです。

ジードの『狭き門』にも、姉妹が登場します。姉のアリサといとこのジェロームは、互いに愛しあっていますが、妹がジェロームを真剣に好きになると、妹思いのアリサは、ジェロームを妹に譲ります。しかし、やがて妹は別の男性と結婚してしまうのです。それならば、アリサが初恋の人でもあるジェロームと結婚したらいいと考えますが、アリサはジェロームの愛を受けいれることはせず、女の悦びを知らぬまま死んでいくのです。アリサもまた神の国に憧れを持っていたのでした。源氏物語〈宇治十帖〉の大君と似たような話が、ジードの『狭き門』にもあるわけです。大君もアリサも、ともに自己愛が強い故に、好きな男性と結ばれずに亡くなってしまうのです。

 

源氏物語の登場人物も、『宇治十帖』になると源氏や頭中将などのパーフェクトな男性に比べ、薫や匂宮は”小粒”になります。

同様に大君や中君、浮舟にしてみても、紫の上や、絶世の美女と謳われた玉鬘と比較すれば見劣りし、スケールは小さくなっています。

それは我々読み手にとって、逆に源氏物語が身近に感じられることとなり、よりリアリティさをもって迫ってくるといえるのです。それこそが、宇治十帖のよさだと思います。

大君にしても、我々のまわりによくいるタイプの人間です。自己愛が強く、傷つくことを恐れているのです。男性女性に限らず、結構モテるのに特定の彼氏彼女を作らない人というのは、こういった一面を持っていったりするのです。相手のことが好きなんだけど、つきあって傷つきたくない大君も、こんな身近にいるタイプとして描かれているのでした。

 

(十一)『狭き門』に関して思い出話をひとつ

 

繰り返します。「宇治十帖」は暗い小説です。

いやになるくらい暗くせつない小説です。このまま話を続けて行くと気がめいってしまうので、ちょっと脇道にそれます。

「狭き門」にまつわる私の思い出話をひとつ。そもそもオヤジというものは、思い出話を語る時には、過去の自分を異常に美化する習性があります。現実には、にきびづらで、じゃがいものような顔をしていたのに、思い出話の中では紅顔の美少年であったかのように語ります。だからオヤジの思い出話を聞く時には、大変な苦痛と困難をともなうとは思いますが、嵐の二宮君なり桜井君あたりをイメージして話を聞いてあげて下さい。それがオヤジに対するいたわりというものです。

 

私が大学に入学した最初の夏休みのことです。帰省の準備をしていた時、ふと前期の授業でせっかくフランス語を習ったのだから、夏休みの間にフランス語の原文でなにか小説を一冊読んでみようという気になり、洋書専門店に出かけました。最初スタンダールの「赤と黒」を読みたいと思っていたのですが、あまりの分量の多さにパス、そこで選んで来たのがジードの「狭き門」でした。大学に入学する条件として、休みには必ず帰って来て家の仕事を手伝うことが決められていました。仕事というのは、私の広島県呉市の実家が建設業を営んでいた関係でダンプの運転手です。

こんなわけで私の運転するダンプの助手席には、同じ広島県出身、尊敬する矢沢の永ちゃんのカセットテープの横に、フランス語版「狭き門」と仏語辞典が並ぶことになったのです。

 

さて私の出で立ちはと言うと、中学生の頃好きだったダウンタウン・ブギウギ・バンドのメンバーが「つなぎ」を着ていたのを思い出し、「つなぎ」を作業着にすることにしました。現在では色々とカラフルな「つなぎ」がありますが、当時は「つなぎ」と言えば白しかなかったので、ドラム缶に水を入れ沸騰させ、そこに染料を流し込み「つなぎ」を黒く染めたのです。ヘルメットには、なぜか当時流行していた「なめ猫」のシールを貼ったのでした。回りの人達からは大変な顰蹙をかいましたが、なぜか幼なじみの女の子の中でも、特に勉強の大嫌いだったグループには大人気で、「広島のジミー」と呼ばれて、すっかりその気になっていたのです。

(ジミー大西のことではありません。ジェームス・ディーンのことです。)

 

そのくせ、人を好きになることに関しては、小学生の頃少年マガジンで「愛と誠」を読んで育った私達の世代は、今の若い人達が想像も出来ないくらい純粋だったのです。

ただひとつ、自慢のリーゼント・ヘヤーが毎日ヘルメットを着用するため、変なクセがついてしまい、大学に戻った時には上手にセット出来なくなることに、一抹の不安を感じていたものでした。こうして、私のちょっと風変りな夏休みが始まることになるのです。

 

一日の仕事を終えた私は、お気に入りの海岸にダンプを止め、一日の漁を終え帰港して来る漁船の乾いたエンジン音に耳を傾け、瀬戸の小島に沈んで行く夕日を眺めながら、四十年程前この海にその巨体を浮べていただろう悲劇の戦艦大和に思いを馳せ、たどたどしくはあるけれども、毎日少しづつ「狭き門」を読み進めて行くのでした。あっという間に2ヶ月が経過し、二日後大学に戻るという日、やっと読み終えたのです。その直後、目を赤く充血させた私は、NHKの朝のテレビ小説「てっぱん」の主人公の女の子のように、広島弁でこう呟くのでした。

”おんなじじゃ、「狭き門」も「宇治十帖」もまったくいっしょじゃ。大君もアリサも幸福にならんといけんのに、なんで素直になれんの。薫のことが好きならジェロームのことが好きなら、なんで薫のところへ飛び込んでいかんの。なんでジェロームのところへ飛び込んでいかんの。自分のことより妹の幸福の方が大切じゃと言っとるけど、本当は自分が傷つくのが恐いんじゃ。傷つくことが恐い人間は、いつもいつも自分のことばかり考えとるんよ。傷つくことが恐い人間は、人を好きになる資格はないんよ。人を好きになるということは、好きになった人が幸福になるためには、たとえ自分が傷つきボロボロになろうとも、決して後悔はしないと覚悟することなんじゃ」と・・・・・

その頃の私には、大君とアリサのために一筋の涙を流す、心のしなやかさをまだ持っていたのでした。青春という言葉は、何とも青くさく、そして、やさしい涙で包まれているのです。

ふと気がつくと、いつの間にかあたりは漆黒の闇に包まれ、沖合のいか釣り船の漁火だけが青白く冷い光を放っていました。スイッチを入れた覚えもないのに、カーラジオからは因幡晃の「わかって下さい」が流れています。まるで薫がはじめて大君を宇治の山荘でかいま見た時の、琴の音色のように・・・

18才の夏、私はせつないほど傷つきやすく、胸がしめつけられるほど純粋で、身ぶるいするほど繊細だったのです。

 

一冊の本により、少しだけ大人になった私は、二日後大学に戻って行きます。なぜか父は、この時はじめて駅のプラットホームまで荷物を運んでくれ、私の乗っている列車の姿が見えなくなるまで、身動きもせず、じっとホームに立ち尽くしていました。

 

列車の進行と共に、だんだん小さくなって行く父の姿を、無性に私の心のアルバムに刻み込んでおきたいという思いに駆られ、食い入るように見つめていたのです。やがて私の視界から父の姿が見えなくなると同時に、あたりはにわかに掻き曇り、夕立が降りはじめて来ました。夕立の列車の窓を打つ雨音が、何故か、あの時カーラジオから流れて来た、因幡 晃の「わかって下さい」という曲の悲しい旋律を思い起させるのでした。

 

歌の中の「これから淋しい秋です。」というフレーズだけが、懐れたCDのように何度も何度も甦り、それが何かを予感させるように、得体の知れない不安を運んで来るのです。

 

駅のホームで列車のドアが閉まる瞬間、何年かぶりに父と視線が重なったのでした。何かを言わねばならぬという思いが空回りして、黙りこくったまま別れてしまったのです。ありがとうという一言がどうしても口から出て来なかった。それを言うためには余りにも長い間、父に甘えることを心の片隅に追いやってしまっていたのでした。私は目を閉じた。列車の窓に激しくぶつかり、やがてはじけて消えて行く夕立のように、心が溶けてしまいそうな気がした。

 

しばらくして夕立も止み、再び明るさ取り戻すと、駅の売店で父の買ってくれた、涙で少ししょっぱくなった紅葉まんじゅうを頬るのでした。

その1ヶ月後、父の葬儀のため再びこの駅に戻って来ることも知らずに・・・

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