源氏物語 宇治十帖12〜14

(十二)、中君、匂宮のもと二条院へ

 

大君の死後、薫は大君との想い出を引きずっていくのですが、一方あのプレイボーイの匂宮は何故か中君に対しては、純真に真面目に接するのです。母の明石の中宮は、中君との仲を激しく反対します。

「何も宇治みたいな山奥から、あんな落ちぶれ果てた田舎娘を、妻として迎えなくてもいいではありませんか。あなたなら、他にいくらでも権力のある貴族の姫君との結婚もできるし、いずれ東宮(皇太子)になるためには、力のある後身が必要なのですよ。」と匂宮に言うのです。しかし、匂宮は断固として聞き入れず、中君が好きだということを、命掛けで明石の中宮に訴えるのです。明石の中宮は、女たらしの匂宮がこれほど純粋に、懸命になっていることから思い直し、中君との結婚を許すことになります。

 

匂宮は、中君を都に招き二条院に迎えいれます。二条院は、紫の上が若紫のときに源氏と過ごした想い出の場所であり、その紫の上が二条院で亡くなる時、まだ幼なかった匂宮に遺言として遺した屋敷なのです。その二条院にひき取られた中君は、匂宮に愛され、やがては男の子をもうけることになります。

 

そういう中で、困ったことになるのが薫です。中君の父である亡き八宮から、中君のことをよろしく頼むといわれている薫は、中君の父親がわりとして花嫁衣装や嫁入り道具を揃えてやり、中君を嫁がせています。ですから、ことあるごとに薫は二条院の中君のところに会いにいっているわけです。そうしているうちに薫は、いつしか中君に、あの大君の面影を見い出すのです。一旦は自分の意志で匂宮に中君を譲っておきながら、大君のいない今、大君の面影を中君のなかに見つけた薫は、中君のことを好きになっていきます。

 

何かにつけて中君のところへ会いに行っていた薫ですが、ある時のっぴきならなぬ関係に発展しそうになります。薫は、いよいよ我慢できなくなり、中君に自分の想いを告白してしまいます。そして、一気に中君を押し倒すのですが、そのとき中君が腹帯をしていることに気付くのです。腹帯は、妊娠した女性が安産のために、直接腹に帯を巻くものですから、このとき二人は、直に肌が手に触れるようなところまでいった、ということになります。しかし、薫は“妊娠して腹帯をしている女性に、こんなみだらなことはしてはいけない”と、またもや思い停まり、今回も“添い寝の薫”として、それ以上中君に手を出すことをやめるのです。

 

ここで、紫式部の場面設定の見事さが表れてきます。というのは、体中からいい匂いが漂う薫の残り香が、当然中君にも付いていますから、それにより二人のことが発覚するのです。

 

屋敷に帰ってきた匂宮が、中君を抱こうとすると、どうもどこかで嗅いだことのある香りがプーンと匂ってきます。それが薫の残り香だと気付いた匂宮は、“これだけ中君に薫の香りが残っているということは、二人は浮気をしているのだな”と思い、中君を厳しく責め立てます。実際、薫とはそういう関係になっていない中君ですが、この当時の姫君というのは言い訳ができません。

「違います。薫と私は、そんな関係にはなっていません。」と言えたらよいのですが、言い訳できないように育てられているのが、この時代の姫君なのです。この出来事があったから匂宮は、中君に冷たい態度をとり始め、夫婦の間に溝ができはじめます。

 

そうするうちに、匂宮と夕霧の娘六君との結婚が成立します。源氏は、三人の子供しか持てませんでしたが、息子の夕霧は、男女六人ずつの十二人という子沢山です。その六番目の末娘が、六君になるわけです。当時は一夫多妻制ですから、何人妻を娶っても構わないのですが、六君との結婚のことを聞いた中君は、当然ショックを受けます。“お姉さんの大君の言うとおり、都になんか来なければよかった。お姉さんの言ったとおりだった。あのまま私は、宇治にいればよかったのに”と中君は嘆くのです。そして、こんな都にいるよりも宇治に帰りたい、と思うようになります。そして、性懲りもなく中君に会いにくる薫につい言ってしますのです。

「こんなに苦しいのなら、私を想い出のあの宇治に連れて帰ってほしい。」と。こんなことを言う中君ですから、薫のことをまんざら嫌いなわけではないのです。

 

薫と中君のことを疑っていた匂宮ですが、その後“やっぱり、そんなことにはならなかったのだろう”と思うようになります。本当に二人の間に何かあったのならば、匂宮ほどの人間が、何もせず放っておくわけがないからです。“やばいところまでいったかも知れないが、実際男女の関係にはならなかったのだろう”と、自分自信を納得させるのです。そんな状態のまま、月日が過ぎていくことになります。

 

(十三)、浮舟の登場

ここから、〈宇治十帖〉の後半に入ります。後半に入るということは、源氏物語最後のヒロイン・浮舟の登場です。もう一人この後半部分で、忘れてはならない人物が、横川の僧都です。平安時代中期、当時最も名高かった源信という僧呂が、奥比叡の横川にある恵心院という寺で修行をし、日本に浄土教の思想を広めたといわれています。そして有名な『往生要集』を著しました。この源信が横川の僧都のモデルとされています。

紫式部は、源信をモデルとし、一人の素晴らしい徳のある人物として、“横川の僧都”というお坊さんを登場させているのです。
では、浮舟の生い立ちについてふれておきます。亡くなった大君や中君の父親である八宮は妻の北方を中君の誕生とともに亡くし、とても淋しい思いをします。いくら仏教を信仰している真面目な人といっても、妻を亡くした哀しみは大きく、妻に仕えていた若い女房に手を出してしまいます。この女房は北方の姪にあたり、中将君といいます。この中将君が産んだ女の子が、浮舟になるのです。しかし、八宮は北方に死なれた哀しみと、中将君が身分の低い家柄の出だったことからその子を認知しませんでした。認知をしてもらえなかった中将君は、幼い浮舟を連れて東北の陸奥国の守の元へ嫁ぐことになります。陸奥国の守は、やがて常陸の介として常陸国に移り、任期を終えて都に帰ってきます。幼な子だった浮舟も、この時すでに二十歳に成長しています。

やがて、浮舟と中流貴族の右近の少将との婚約が整います。右近の少将は身分的には上の下ほどの貴族ですが、浮舟の出生から考えると玉の輿の結婚といえます。しかし、この婚約は一方的に右近の少将から破棄されてしまうのです。というのは、元々父親の常陸の介の財産目当てだった右近の少将は、浮舟が新しい奥方の連れ子だったということを知ってしまうのです。当時の中・下級貴族というのは、中央での出世を諦め、受領として地方に下りお金を儲けようとしていたわけです。ですから、陸奥国の守、常陸国の介と歴任してきた浮舟の父親は、相当な財産を持っていたのです。ところが、よくよく話を聞いてみると浮舟と常陸国の介とは血縁関係になく、浮舟と結婚しても財産はもらえないとわかり、右近の少将は婚約を破棄するのです。しかも、そればかりではなく常陸国の介の血をひいている、浮舟の実の妹と結婚することになってしまうのです。浮舟にとっては、婚約破棄した相手が夜な夜な同じ屋敷の妹のところに通ってくるという辛い状況になるのです。浮舟のお母さんの中将君は、そんな娘が可哀想でたまらず浮舟の身の振り方を案じるようになります。

 

(十三)、浮舟、中君のもとへ

浮舟の母親の中将君は、今を時めく匂宮の妻として子供も産み、裕福に暮らしている腹違いの姉の中君に、可哀想な浮舟の面倒を頼もうと考えます。中将君は、はるばる中君を訪ね「どうか、あなたの妹の浮舟の面倒を見てやってください。」と懇願するのです。元々優しい性格の中君ですが、目に入った浮舟の姿が腹違いの妹であるにもかかわらず姉の大君にそっくりなことに感激して、浮舟を引き取ることを快諾します。そうして浮舟は、中君のいる二条院に移っていくことになるわけです。

ある時、匂宮は中君のところにやってきます。まさか匂宮が訪ねてくるとは思っていなかった中君は、その日安心して髪を洗っていました。当時の姫君の髪というのは、自分の身長よりも長く、二メートル近くもあったわけですから、髪を洗うということは大変なことだったのです。ですから、姫君は前もって自分の髪を洗う日を考えておいて、絶対にダンナ様が訪ねて来ないと確信の持てる日に髪を洗っていたのです。また、一旦髪を洗うと乾かすのも一苦労で、もちろんドライヤーなどない時代ですから、髪の毛を板状のものの上でずっと後ろへ伸ばし、日の当たる所で体を横たえて天日で乾かしていたのです。身長よりも長い髪の毛は、乾くまでに半日もかかるのです。そんな日によりによって匂宮が訪ねてきたわけですから、中君はびっくりします。匂宮に会おうと思っても、会うことができるような状態ではないわけです。中君に仕えている待女達は「申し訳ありませんが、奥様は本日髪を洗っていらっしゃいますので、もうしばらく経たないとお会いになれません。」と匂宮に伝えます。せっかく中君のところに来たのに、すぐに会えないと言われた匂宮は、暇潰しに仕方なく自分の屋敷の庭をぐるぐると散歩し始めます。

(十四)、浮舟と匂宮の出会い

匂宮は散歩して廻っていると、一カ所に見慣れない女性達がいることに気がつきます。真ん中にいる姫君のような女性が、よく見ると非常にきれいなことに驚き、匂宮の心は踊りだします。当時の男女の仲は、レイプから始まるわけですから、匂宮もいきなりその真ん中にいる若い女性に抱きついていきます。この若い女性こそが、二条院にひきとられていた浮舟だったのです。このような場合、当時としては囲りにいる女性達は気を利かして姿を隠すのが普通なのですが、面白いことにその中にいたガマガエルのような顔をした乳母が、匂宮を眺みつけてきたのです。匂宮が浮舟とそういう関係を結ぼうとしているのに、このガマガエル乳母はずっと匂宮を眺み続けて、浮舟を放そうとしないのです。気を利かして退こうとせず、ずっと眺んでいる乳母に頭にきた匂宮も、このガマガエル顔を眺み返します。浮舟を間にはさんで匂宮と乳母が眺み合っているこの場面は、〈宇治十帖〉の中でも数少ない滑稽な場面なのです。ここまで眺まれてしまってはさすがの匂宮も仕様がなく、浮舟に手を出さずにすごすごと引き下がるわけです。
この匂宮の行動は、当然中君の耳に入ります。自分のダンナ様の匂宮が、自分の妹を手にかけようとしたという事実に、どうしたらよいものかと非常に思い悩みます。匂宮が妹の浮舟と浮気をするということよりも、かわいい妹が匂宮の毒牙にかかってしまうことの方が、中君は気になったのだと思われます。この話を聞いた浮舟の母の中将君も、せっかくいい縁で巡り会えて中君のところで世話になることができたけれども、このまま浮舟を二条院に置いておくわけにはいかない、と考えるのです。中君に世話になっていながら、その世話になっている人のダンナ様と娘とがそういう関係になってしまっては、中君に対して申し訳が立たない、という思いがあったのです。やがて浮舟は中君の賛成もあって、京都の三条あたりにあるみすぼらしい小さな屋敷に匿われることになります

 

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