源氏物語 宇治十帖20〜23

(二十)横川の僧都


横川の僧都には、出家して尼になった妹と年老いた母親がいました。ある時横川の僧都の妹と老母は、長谷寺の観音様のところへお参りに出掛けるのですが、その旅先の宿で老母は病気になってしまいます。すると宿の主人は怒って、「私の宿で死んでもらっては困る。すぐに出ていってくれ。」と厳しいことを言うのです。当時の人々は、自分の住んでいる場所から死人がでるということを非常に忌み嫌っていたのでした。仕方がないので、二人は急いで横川の僧都に連絡します。知らせを聞いた横川の僧都は、丁度中間点になる宇治の院までなんとかやってくるように伝え、自分もそこまで迎えに行くことにしました。横川の僧都が、弟子の若い阿闍梨達を連れて待ち合わせ場所の宇治の院に行った折、丁度その時に大木の根元に、意識のない浮舟が流れつくのです。

激しい雨が降り続く暗い晩に、髪の長い女がずぶ濡れで木の下に倒れています。当時は物の怪の存在が信じられていましたから、その様子を見た横川の僧都の若い弟子達は、「あっ、あそこに物の怪がいる!!。」と慌てだします。横川の僧都は、「あれは物の怪ではない。若い女性が流れついているだけだ。」と言い、弟子達を落ち着かせます。そこで実際にその場所に行ってみると、やはり物の怪ではなくて若いきれいな女性、つまり浮舟だったわけです。勿論、すぐに横川の僧都とその弟子達は浮舟を助け、宇治の院で看病することになります。そうこうするうちに、横川の僧都の妹と老母も宇治の院に姿を現わします。妹の尼僧は浮舟と同い年ぐらいの娘を最近亡くしたばかりで、この度の長谷寺への参拝もそのためでした。ですから、浮舟を見た妹の尼僧は〝この女性は、長谷寺の観音様が亡き娘の代わりに、私に授けて下さったに違いない〟と、とっさに思うのです。そして兄の横川の僧都に「どうか、この若い娘を助けてやって下さい。この娘は、おそらくあの死んだ私の娘の身代わりとして、長谷寺の観音様が私に授けて下さった者なのです。」と強く懇願します。この当時は加持祈祷に優れているお坊さんが有徳な僧とされていましたから、当然横川の僧都も相当な力を備えていました。妹に懇願された横川の僧都は、懸命に加持祈祷を行います。その効あって、何とか浮舟は意識をとりり戻すことが出来ました。

ここで紫式部は、意識を取り戻した浮舟を記憶喪失症にさせています。浮舟は何を聞かれても、「わかりません」と答えるだけで〝ここは何処?私は誰?〟状態なのです。今でこそ、若い女性の記憶喪失症の話はテレビの二時間ドラマなどでよく見かけますが、千年も前の小説ですでに紫式部は記憶喪失症の女性を登場させているのです。これは、見事という外ありません。

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二十一)浮舟小野の里へ


しばらくすると、忙しい身の上の横川の僧都は奥比叡の横川に帰っていきます。一方、妹の尼僧は自分が修行をしている比叡山の小野の里にある尼寺に、浮舟を連れていくことにしました。小野の里へ行った浮舟は、しばらくして自分がみすぼらしいところで、年を取った地味な尼さんらと一緒にいることに気がつきます。浮舟の記憶は、だんだんと少しずつ、少しずつ戻り始めて来るのでした。この記憶の戻り方に、またしても紫式部の筆の見事さに驚かされます。現在の心理学と非常に相通じるものがあり、浮舟が記憶を取り戻すまでの過程の中で、浮舟にとって非常に強く印象に残っている過去の場面が、フラッシュ・バック的にパッ、パッと幾度となく頭の中に甦ってくるのです。そういったことを積み重ねながら、やがて浮舟は完全に記憶を取り戻すことになります。

では、どんな場面が浮舟の頭の中にフラッシュ・バック的に浮かんできたかというと、雪が降りしきるある晩、浮舟が縁側に座っていると、とても美しい若い殿方が現れて、自分を抱き抱えてどこかへ連れて行ってくれる、そんな場面が脳裏に浮かんで来るのです。このことの意味するものは、浮舟を抱き抱えるような行為をする男性といえば情熱家の匂宮しかいませんから、浮舟は薫と、匂宮のどちらに魅かれていたのかといえば、匂宮の方に心魅かれていたことを意味していると思います。浮舟は匂宮のことをフラッシュ・バック的に脳裏に甦らせることを積み重ねながら、記憶を取り戻していくのです。

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(二十二)浮舟失踪後の宇治の里


入水自殺をしようと思った浮舟が、宇治の院の大木の根元に流れつき、横川の僧都に助けられるという場面と、記憶喪失の浮舟が記憶を取り戻していくプロセスで、匂宮との想い出がフラッシュ・バック的に甦るというのは、宇治十帖の中でも非常に衝撃的な場面でした。

それでは、次に浮舟が失踪した後の宇治に目を転じることにします。
浮舟が失踪した夜は、激しい雨が降り続いていましたから、浮舟がいなくなっても誰も気づきませんでした。浮舟の母の、中将君は浮舟がいなくなったことを聞いて、よくよく事情を調べてみると浮舟が、匂宮と薫の二人の愛情の板ばさみになっていたということを知るのです。そこで中将君は〝恋の板ばさみに悩んだ末に、入水自殺したのだろう〟と思うようになります。浮舟が入水自殺したということが世間に知られいろいろ面倒なことになることを恐れた中将君は、亡骸のないまま浮舟の葬式を執り行います。中将君は棺桶に浮舟の着物と浮舟が書き遺した手紙、そして浮舟に送られてきた匂宮と薫の手紙を一緒に入れ、荼毘に付すことにしました。浮舟が亡くなり、葬式も済んだことを聞いた薫と匂宮は、とてもショックを受けます。二人は別々に僧呂をよび、それぞれに浮舟の供養をしてやるのでした。

この時の二人のショックの受け方が、これまた面白い程対照的です。浮舟が亡くなったことを聞いた薫は〝私が出家せず俗体でいるから、浮舟はこんな不幸な目に遭ったんだ〟といって、自分が出家していないことを嘆きます。それに対して、情熱家の匂宮は食事が喉を通らなくなり、一切ものを受けつけず、ただただ布団の中で二日間を過ごすという場面が書かれています。このあたり、薫と匂宮のお互いの性格を紫式部はうまく表現していると思います。浮舟が亡くなったと聞いた時、これほどまでに嘆き悲しんだ薫と匂宮ですが、やがて時が経つと二人共新しい女性を好きになっていきます。紫式部はいったい何をいいたかったのでしょうか。結局、〝男なんて所詮こんなもの。浮舟のことをあれほど好きだ、好きだといっていた薫にしても匂宮にしても、きれいごとを言いながらも時が経ってしまえば、男なんて前の女のことを忘れて別の女を好きになる。男なんてみんなそういうものなんだ。〟ということを表したかったのでしょう。

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(二十三)浮舟に求婚者出現


場面は、再び浮舟のところに戻ります。
浮舟は、死のうと思っても死ねなかった罪の重さに嘆き苦しみます。ですから記憶が戻ってからも浮舟は、何を聞かれても相変わらず「わかりません」としか言わず、記憶喪失のフリをして過ごすのです。そんな折、横川の僧都の妹の、死んだ娘の旦那さんが浮舟を見てひとめ惚れをしてしまいます。そして旦那さんは、浮舟に求婚してくるのです。そうすると横川の僧都の妹の尼僧も、「それはいいことだ。この女性はこんなにもきれいなのだから、あの人と結婚して人生をやり直せばいい」と考えるのです。しかし、既に記憶が戻っている浮舟は、もう二度と男性を好きになるまいと心の中で硬く誓っているのでした。死のうと思っても死ねずに生き残ってしまった私に残された道は、もう出家しかない、と浮舟は思うようになります。 丁度この頃、横川の僧都の妹と老母は再び長谷寺の観音様への参拝を考えていました。「あなたも一緒にお参りに行きませんか?」と誘われる浮舟ですが、浮舟はこれを断ります。浮舟も若い女性ですから、長谷寺の観音様のところへは当然何回かは願いごとをしに行っているはずです。しかし、これまで生きてきた自分の人生を顧みた浮舟は、〝どうせ私は幸せになれっこない。長谷寺の観音様にお願いすることはどうせ無駄なことで、不幸なのが私の人生だ〟と思いこんでいるのです。ですから浮舟は長谷寺へは行かずに尼寺に残ります。妹の尼僧と老母は、浮舟を置いて長谷寺へのお参りに出掛けていきます。

二人が出掛けてからしばらくして、中宮に招かれた横川の僧都は、宮中での加持祈祷のために都へ赴くことになります。比叡山を降りたついでに、横川の僧都は〝あの時の若い娘は、あれからどうなったのだろう〟と思って尼寺を訪れます。横川の僧都の姿をみた浮舟は、今がチャンスだと思って「どうか、私を出家させて下さい」と頼むのです。横川の僧都は〝なぜこんな若くてきれいな女性が出家すると言うのだろう!?〟と最初はとても驚きます。でも浮舟は、一生懸命に何度も何度も頼むのです。やがて、その情に絆された横川の僧都は〝そこまで言うのであれば〟と思い、浮舟を出家させてやることにします。勿論、浮舟はこの時何の用意もしていませんから、横川の僧都は自分の着ていた袈裟を浮舟に貸してやり出家させてやることにしました。

 

 

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